有吉 カナダに拠点を移してから4年。カナダ3大バレエ団の1つ、「ロイヤル・アルバータ・バレエ団」で腕を磨き、現在は斬新な作品の上演に精力的に取り組む「レ・グラン・バレエ・カナディアン」で花を開かせています。特にここ1年は成長著しいと感じています。
清水 ようやくクラシックバレエが芸術だと理解しました。表現への意識が高まり、動きはもちろんのこと、身体のシルエットにまで磨きをかけるようになりました。
有吉 どうしても外国人に比べて見劣りしますからね。身体つきについて、筋肉1つ1つ、細部にまで強くこだわっていると感心しています。
清水 フィジカルの強さという点での自信が、こだわる余裕に繋がっています。チームの中でも力強い演技が評価されていますので。
有吉 元々、コア(軸)はしっかりしており、ジャンプや回転は群を抜いていましたが、脱力できるようになり、クオリティが上がりましたね。
清水 脱力は長年の課題でした。つい、力で飛ぼうとしていたので。力が抜けたことでジャンプが安定し、着地がブレなくなりました。表現する楽しさも増えており、今後はより自由度の高いコンテンポラリーにも挑戦したいと思っています。振付が決められているクラシックに比べ、自由に組み立てられるので。表現の幅が広がり、ダンサーとして新しい自分に出会えるのではと期待しています。
有吉 初めての出会いが12年前で、小学6年生の時。妖精のように可愛かった凌くんを思い出すと感慨深いです。
清水 あの時は、腰椎分離症と膝のケガで苦しい時期でした。完治を求めて実家のある千葉だけでなく、東京まで病院を回りました。しかし、医者からは「バレエを諦めた方が良い」と言われ…
有吉 その時でしたね、私とお母様との出会いは。
清水 運動指導者の母が、有吉先生の講習を受けて「これだ!」と思ったそうです。それから祐天寺の店舗に通うようになって。
有吉 月1回。まだ、小学生だったのに千葉から通い、よく続けてくれました。
清水 先生だけは「バレエを諦めなくていい」と言ってくれて。最初に診てもらった時、劇的に軽くなり、自分の身体がどれだけ変化するのかワクワクしました。
有吉 あの時、随分老廃物が溜まっていましたね(笑)。
清水 ははは(笑)子供の頃は潔癖症で、学校のトイレに行けませんでした。
有吉 トイレを我慢するために水分補給もあまりしないから、むくみが酷かったですね。ケガもあり、課題山積の身体でした。
清水 コンディショニングと出会ったおかげで、ケガを完治でき、その後は大きな故障に悩まされることなく今に至っています。海外に出てからも先生にメールで相談をしていますし、帰国の度に店舗に通っています。
有吉 凌くんは反抗期がない子でした。いつも素直で。
清水 いえいえ。ありましたよ!尊敬する人には反抗しないだけで(笑)。
有吉 毎回、一日を通して、いつ、どのような時にどんなセルコンを行っているかを聞いていたら、紙に書いてきてくれるようになって。
清水 日々の気づきや目標なども書くようになりました。そう言えば読書感想文も行っていましたね。
有吉 プロになる前に知性や感性を磨いて欲しくて。
清水 バレエ漬けの僕を思ってくれて…。中学出てすぐに海外に行き、プロになりたい気持ちを伝えると、勉強も大切と諭されました。それで、通信の学校で高校卒業の資格を取ったのです。人生の様々な分岐点で先生から多くのことを学び、今に生かしています。
有吉 凌くんは常に目標に対して真摯ですから。良いと思ったことは何でも全て行う。私は多くのジュニアアスリートを見てきましたが、多くの子ができない言い訳をする。凌くんの意識や姿勢を思い返すと一流になるべくしてなったと感じています。中学校3年生の時、NBA全国バレエコンクールで賞をとり、モナコへの1年間留学が決まった時も本当に嬉しかったです。
清水 12年間先生と歩み、子供の頃からコンディショニングを行ってさえいれば、人生変わった人は他にもいるのではと思うようになって。
清水 少なくとも僕は諦めていた夢を掴むことができました。ケガへのケア、パフォーマンスアップ、理想のシルエットづくりなど、得てきたものは数えきれない。今はダンサーとして少しでも高みに上ることが目標ですが、引退したらコンディショニングトレーナーの資格を取り、世界に広げたいです。
有吉 私も世界に発信するなら凌くんだと思っています。子供の頃から培った理論や実感は財産ですし。
清水 自分でできること(セルコン)も大きな利点です。海外どこでも一人でできる。世界で活躍するダンサーのスタンダードになる時代をつくれたらと思っています。